面白さより安定性を求めたい

私はクソみたいな文を量産することができます。

ごはんたべた

感情はMPだって、少し前にフォロワーが言ってた。少し考えてしっくりこなくてTLの意見を聞いて少し納得した。

 

それでも腑に落ちなくて、ずっと脳の片隅にこの疑問があった。私にとっての感情とは何か、いやきっと深く考えるもんでもないけど。

 

ふとした拍子に思いついた、私にとって感情は食事と同義だ、と思う。

美味しいものを食べたら美味しい、嬉しいことが思ったら嬉しい。それが溢れるほど満たされてお腹いっぱいになる。でもいつの間にか自然と減っていって、また嬉しいや楽しいの感情を求める。

まずいものを食べたらまずい。嫌なことが起こったらマイナスな気持ちになる。増えれば増えるほど溜まって苦しくなるしこれもまたいっぱいになるし自然と消えていく。

 

人によって好みがある。好んでマイナスな感情を求めに行く人もいる。自分にとっては良いと思ったら行為も相手方にとっては嫌な感情に繋がるかもしれない。いろんな味がある。人によって感じ方が違う。

 

摂取してないと心が死んでいく、生きるために必要なもの。

 

繋ぎ合わせていけばすんなり当てはまって、感情って食事なんだなって思った。し、私は個人的に素敵なものに出会ったらそれに味を感じるし見てるだけで美味しいと思う。キラキラしたイラストは冷たくて甘いパフェだったり強烈で深い歌詞の音楽はロックの梅酒だったり面白い動画は肉じる溢れるハンバーグだったり。見るだけ、聞くだけで心だけではなくお腹も満たされる感覚がある。そういう意味では感情=食事ではなくて感情は食事の一部なのかもしれない。緊張や悲しみでお腹が空かないのは緊張や悲しみを食べてお腹いっぱいだからなのかもしれない。

 

負の感情を摂取したら、外に出せ、と涙として流れる。私は流したくないと思うのにどうして涙は出るのだろうと多々思うけど、これも同じく生理現象だというのなら、なんか納得してしまう。

 

最近は良い方向にも悪い方向にも感情を揺さぶられることが多くて、たくさん話したいことも言いたいこともあるけど今は美味しいパスタを食べてお腹が満たされている。